
携帯 買取の構造
友達の物書きからこんな話を聞いた。
「先日の土曜日に、自分の講演会があったので、会場でぼくの本を売ってもらおうと、担当の編集者に頼んだのだけど、そういう会ではそれほど売れませんからって来てくれないのだ。
売れるか売れないか、やってみなきや分からないのに、やる気ないのだから嫌になっちゃうよな」彼の嘆きはもっともだが、元編集者の私には、その編集者の気持ちはよく分かる。
友人の説明した規模の講演会だと、いくらたくさん売れても、わざわざ出張販売にいった編集者の、休日出勤手当分ほどの利益も上がらず、会社からはちっともいい顔をされない。
それに、こっちの方がずっと大事なことだが、土曜日は彼にとっては休日だから、もし講演会場に販売にいくとすれば、彼はせっかくの休みを潰すことになる。
そんなことはとんでもないことである。
編集者に限らず、最近のサラリーマンで、休日出勤を厭わないという人はまれだろう。
彼とパートナーを組んで仕事をしているフリーには、わが身を振り返れば無理もないことだ。
そもそも多くのサラリーマンは、会社で周囲からそれほど後ろ指を差されない程度の仕事をしている。
月曜から金曜(あるいは土曜)までの週日の9時−5時(その企業の平均的退社時間が6時や7時ならその時間まで)というルーティンな勤務時間の中で、それなりの義務を果たすというものである。
誰もがそういう集団的な力学にかなり強く影響されている。
その中に身を置きながら、ルーティンな勤務時間などものともせず仕事をするには、個人的に強烈に仕事に引かれるものがなければなるまい。
そんな人はそう多くはない。
あるいはそんな時期はそう長くは続かない。
ダグラス=グラマン事件(1979年)で悪名を馳せたK.H氏は、会社近くのパチンコ屋で遊ぶ人たちを見て、「ああ、おれはもっと仕事をやりたいから、あいつらの時間を買いたいよ」とうめいたそうだ。
彼と普通のサラリーマンとは置かれた立場も時代も違うが、少なくともその部分には脱帽したい気分になる。
ところがフリーになると、ルーティンという発想がなくなる。
そもそも会社が恒常的に与えてくれる、ルーティンな仕事を持っていないのがフリーである。
いつも誰かから注文を受けなくては、仕事がないのだ。
多くのサラリーマンはY食品時代のY氏のように、ルーティンの仕事が少しでも楽なものであることを願う。
フリーは少しでも多くの注文が来ることを願い、さらにその仕事が合格点をとり、一度注文をくれた相手から、続いて注文が来ることを願うものである。
だからフリーは、少なくとも主観的には骨惜しみをする気にはならない。
骨惜しみをして水準の低い仕事をしたり、注文を断わったりしては、二度と注文が来なくなり、先行きが暗くなる。
あるいは客商売の自営業でも、長引く不景気で客の入りが悪いので、初夏の陽気になっても、「今年はまだ3日しか休んでいないわ」という所も出てくる。
私もG書房のサラリーマン時代の後半期には、(休日出勤は勘弁して欲しい)という気になっていたが、フリーになったら、途端に日曜日も祝祭日も週日も一緒になってしまった。
同時に時間当たりでペイが見合うかどうか、という発想もなくなった。
何しろ短期的にペイが見合っても、長期的に見合わなければ何にもならないのだ。
フリーになった最初のころを思い返すと、どうやって家族5人の経済生活を成り立たせていたのか、自分でも不思議に思うほど、時間当たりのペイは見合わなかった。
たとえば86年の2月『小説T産省』、同年11月に「総合商社」と相次いで、かなり分厚い書下ろしの単行本を出版している。
最初に「総合商社」を7ヵ月ほどかけて書いたが、編集者に見せたらダメが出た。
書き直していると生活費が続かないから、『小説O蔵省』のときと同様、K出版から印税の前払いを受けて『小説T産省』を先に書いた。
こちらも半年ほどかかった。
それぞれの印税収入は120〜150万円でしかない。
これではそれぞれ半年の働きにはとうてい見合わない。
ニカ月くらいで書けば見合うだろうが、それでは自分で納得する水準の原稿にはならない。
半年で120万円程度の収入では暮らしていけないから、他にも雑誌の仕事などやっていた。
某月刊誌に官僚研究を連載していたのは記憶している。
これも原稿料は毎月15万円ほどで、かなりの取材費を自己負担していたから、そう収支は合わなかったはずだ。
いったいどうなっていたのだろう。いつの間にか収支が合ってくることになる。
まず、前述の2作が両方とも文庫に入った。
文庫は単行本よりずっと刷り部数が多いので、初版だけで各200万円前後の印税が入る。
しかも後年にわたりかなり増刷されることとなった。
おまけに『総合商社』はテレビドラマにもしてもらえた。
この原作料とビデオ料で100万円強となった。
こんなことを見越して、短期的には見合わないほど時間をかけて原稿を書いたわけではない。
単に恥ずかしい原稿は嫌だと思って力を入れたにすぎないが、仕事の質に少しでもよけいにエネルギーを注いでおけば、後で収支が合うようになってくるのは、どの世界でも一緒だろう。
サラリーマンについての長期的な収支を考えてみると、出世とそれに伴う昇給ということを媒介にして、「若いうちにペイの何倍もの仕事をしておくべきだ」などと、同様なことがいえるはずだが、フリーほどに切実に受け止める人は少ないようだ。
サラリーマンの出世は仕事の実力より、社内力学のどこに身を置くかということが大きくものをいうので、彼らは仕事そのものより、そっちの方へ顔を向けているということかもしれない。
いや、それよりも何よりもこれまでのサラリーマンは、終身雇用という護送船団方式で長期的な身分が守られてきたから、個人で長期的な収支など考える必要がなかったのだ。
これからはそうはいかないから、個人的にも長期的な視野を持つ必要があるだろう。
この視野の中には、もちろん会社を飛び出すという選択肢も含まれているのである。
フリーは年を取らないよく週刊誌などに「ウチの課長の趣味」などという欄があり、企業の中堅幹部の顔写真を載せていることがある。
なかなか貫禄のある風貌で、どうしたって私より年長に見える人が、しばしば私より年少なのを知って愕然とすることがある。
自惚れ鏡は時にとんでもないものを映し出すことがある。
企業の人的構成は、最近ではかなり弱まりつつあるといっても、まだ年齢をベースにしたピラミッド構造になっている。
つまり年功序列的になっている。
そこに毎年、新入社員が入ってきて、去年までの新入社員は2年生になり、去年までの2年生は3年生になる。
ピラミッド構造の中では、だいたい年齢が高いほど偉くなっていくから、サラリーマンは年齢相応に貫禄が出て、年齢相応に周りから扱われることが望ましいと思っている。
2年生が新入社員に見られ、3年生が2年生に見られるのは嬉しくないことだ。
初めての取引先にいったとき、45歳の課長が35歳の主任より若く見え、先方から主任が先に頭を下げられるようでは、うまくないのである。
こんなふうに、一見したときの貫禄が大事な企業という環境に長くいれば、彼は言葉遣い、表情、しぐさ、態度なども年齢相応あるいはそれ以上に見えることを日々心がけるようになる。
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